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2009年5月26日 (火)

チャラパーな裁判員制度

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裁判員制度についてどうしても言いたいひとこと。

「これ以上ムダで意味のない制度改革は見たことがありません。」 以上。

これだけではおさまらないのでその根拠を一点だけ。

 

裁判員の参加する裁判は一定の重罪で起訴された刑事裁判でのみ行われます。

しかし、それは1審、つまり地方裁判所レベルで行われるだけで、裁判員が参加して下された判決に対して控訴があった場合、それより上のクラスの裁判所(高等裁判所、最高裁判所)でひらかれる裁判には裁判員は参加しません。

したがって、もし、裁判員が参加して下された判決に控訴があれば、裁判員が参加した判決はいったん白紙となり、裁判は続行することになります。

ところで、裁判員の参加する裁判が開かれるのは、法律で、死刑や無期懲役などの重い刑での処罰があり得ることが定められている犯罪があったとして起訴されたケースのみです。

例外がないわけではありませんが、一審判決で死刑や無期懲役が言い渡された場合、さまざまな理由から、判決の確定を免れるため、ほとんどのケースで控訴が行われます。たとえ裁判員の参加する裁判が始まっても、この点に変わりはないと思われるので、結局、裁判員の参加する裁判で、その裁判で出された判決がそのまま確定することはほとんどないと思われます。

 

仕事や家事等をかかえて忙しい中、裁判と縁のない人が、慣れない裁判に無理をおして参加して、むごたらしい被害の状況に心を痛め、有罪/無罪の心証を決めて有罪の場合には適正な量刑を行うという極めてストレスフルな作業に加わって、ようやく判決の言い渡しに至るのですが、その作業は「控訴」によりいともたやすく「チャラパー」になるのです。

裁判員の苦労などまったく意味をなさない。そしてなんたる税金の無駄遣い。

いや、そういうことになることも含めて国民に周知が行われて、それでも必要があるからみんなが犠牲を押して参加しよう、それが世論であるなら私は異を唱えません。

 

しかし、裁判所はそのようなことはクチが避けても言えないのでしょう。

そして、そのことがまったくマスコミで報道されていないことはおどろくべきことです!!! 

はっきり言いますが、裁判員を参加させて司法の質が上がるはずはありません。
むしろ逆になることが容易に想像されます。

 

このような、ちょっと考えるだけで無理、ムダであることがすぐわかる制度がさしたる問題提起もないまま本当に走り出すという社会現象は、国を破綻させることが目に見えているにもかかわらず米国との戦争開始を決意してしまった昭和初期の世論の流れと同じように思えてなりません。 

 

そして、裁判所がこの制度の旗を振るのをみるたび、裁判所という暗黙知が求められる機関にもはやそれを求めることができなくなってきているという現実を見るのです。 

 
 
 

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