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2008年11月25日 (火)

再びT論文について

Epsn5189

ちょっと画を整理していたら、別の角度、別のカメラでとった「首かけイチョウ」の画があったので、時期おくれにならないうちにアップします。

R-D1s + アンジェニュー  ・・・やばい、画はこっちのほうが好みかも(笑)。

  

  

それにしても「雪斎」こと桜田淳先生のブログを拝見しましたが、すごいことが書いてありました。

 

村山談話が発表されて以来、これまで日本を守ってきた「楯」だという認識。

いや、驚きました。

百歩、いや千歩譲って あれが東南アジア諸国に安心感を与えて、おかげで関係諸国となかよく付き合えてる、という側面が仮にあったとして、村山談話がなければそれが成り立たない、という面がまず立証されるべきでしょう。その上での「楯」ではないですか?

  

まして、それが国民に対して無害であるならともかく、悪意あるマスコミにより絶対化され、政治的パージに利用されたり時の内閣の運営方針をいちじるしく束縛して国益に反する結果をきたしているという認識はないのでしょうか? さらに深刻なのは国民に対する自虐史観の植え付け、固定化です。

  

もう60年も前のことをあれこれ取り上げて、「だから日本は・・・」という輩は基本的に純粋でない何らかの目的をもって日本に接していると思うのがフツーでしょう。だから、そこにべったり合わせるような形で付き合ってはダメでしょう。

田母神論文のタイトルは「日本は侵略国家であったのか」であり、大陸に進出したこと=侵略国家という単純な論理を排することがその主たる目的だと私には読めました。

 

その上で、とくに、「人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちの歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである」という部分が私の共感する部分です(そのほかにはやや表現の適切さという観点から疑問を感じる点もあるけどこの評価を覆すものではありません)。

反省も必要だし贖罪も必要だけど、60年以上かけてもう十分やってきた。この体制をいかにして維持するか、ということだけを考えていこう、ではダメなんでしょうか? 

 

現在の村山談話をテコにした、一定の勢力とマスコミによる国民とりわけ若者に対する歴史認識の押しつけは、もはや歴史への反省の域を超えて「歴史を抹殺」するレベルにあるという危機の認識が欠けているということです。

    

この前のエントリーでは堂々「田母神論文」のカテゴリーの上位に入ってしまったので、今回はかなり控えめなタイトルです(笑)

 

 

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